「絶対音感」を読んで


 昨年話題になっていた「絶対音感」(小学館、著:最相葉月)を読んだ。色んなことを考えたので、読書日記では書ききれなかったことを記しておこうと思う。

 まず、私には、厳密な絶対音感はない。Aの音が440か442の違いは2音を同時に比べない限りわからないと思うし、楽器以外の物音が階名で聞こえることもない。音楽に関しては、固定ドで大体の音程は取れるが、ピアノの音以外は少し苦手だ。本中に出てきたダイタイ音感というものだろうか。聴音は苦手ではないけれど、意識して聴かない限り様々な楽器や歌声が音符になって聞こえてくるわけではないので、絶対音感があるとは言えないだろう。私の音感は、子供の頃からピアノをやっているうちに自然に身に付いた物で、特に音感教育を受けた経験はない。これまでにたくさんの子供たちを教えてきて感じるのは、小学校に上がってからよりも幼稚園の間にレッスンをはじめた子供の方が、聴音が得意なことが多いことだ。
 「絶対音感」を読んでみて、絶対音感のある音楽家達の悩みを知り、ダイタイ音感でよかったなぁ、と感じた。ピアノの場合は、自分の家と先生の家、発表会などの会場のピアノがそれぞれ違った周波数で調律されていても、気持ちが悪いからといちいち調律するわけにいかないし(プロの演奏家は、いちいち調律するのだけど。)・・・何となく慣らされてしまう、というのもあるのかな、と思った。ヴァイオリンなどの場合は、自分の耳を頼りに音程を作るわけだから、本中に出てくるプロの音楽家達の苦労は、なるほど・・・という感じだった。

 日本の戦時中の絶対音感教育には、驚いた。ドレミファソラシ、イロハニホヘト、AHCDEFGという3種類の音名(アメリカ音名を入れると4種になるが)、レッスンしていてどれかひとつに統一されれば、子供も覚えやすくていいのにと普段から思っていたが、イロハに関しては、戦争の名残だというし・・・。
 移動ド唱法に関しては、上手くすれば移調の練習にはもってこいだと思うが、譜読みをマスターする上では混乱の元になりそうだし、移動ドで旋律が聞こえてしまう場合は、聴音が苦手になることもあって、私もレッスンでは固定ドで対応している。
 絶対音感の教育をする教室があって、そこで絶対音感が身に付いたら教室を止めてしまう生徒達という話にも驚いた。楽器の演奏には、絶対音感よりももっと大事な物があると思うのだが。また、その先生はご自身が絶対音感がなくて苦労なさった経験から、絶対音感の教育に熱意をお持ちだということから、私はテクニックが弱くて苦労しているから、生徒にテクニックの指導が厳しくなるのかな、と比較してみたり。他の章で、演奏する能力と教える能力は別だというジュリアード音楽院のディレイの持論に勇気づけられたり。

 「絶対音感」には、たくさんのプロ音楽家の経験談があるが、どれも興味深かった。特に、五嶋みどりさんについては、かなり詳しく書かれてあり、親子の関係を含めて演奏家の厳しさが伝わってきた。冒頭と巻末のパステルナークとスクリャービンの話にも感じるところが大きかった。
 普通に楽しんで音楽する事に絶対音感は、特に必要ないものだと私は思う。専門家になるためにはあった方が楽かもしれないが、相対音感があれば十分だと思うし。作曲する場合は、少し事情が違うかもしれないが、楽器の音色や歌い方の方がより大事なことに思える。私が一番欲しいのは、強靱な指としっかりしたテクニックかな、と思いつつ本を閉じた。

                       10月31日(日)